薄くかすんだ空の下を往く船の先に、いくつもの摩天楼を水面に映し出す、見たこともない街が姿を現わした。いや、どこかで見た風景に似ている。そうだ、太平洋から揚子江を遡(さかのぼ)る外航客船の甲板から初めて眺めた、上海の街並みだ。
同じ東京人でも、ここしばらく山の手方面ばかりで日常を暮らしてきた人には、まるで浦島太郎にでもなったような気分にさせる光景だろう。いまさら気がつくのも恥ずかしいけれど、極東最大の都市・東京は、拡大と進化のフロンティアを東京湾の水辺に求めていたのだ。
江戸時代から続く下町の情緒と隣り合わせの未来都市・東京ウォーターフロントを、浦島太郎の気分でのんびりと歩いてみた。
大相撲の都・両国の船着き場から出発した「東京水辺ライン」の水上バスが隅田川を下り始めると、大東京のパノラマ劇場が始まった。東京都公園協会が運営するこの水上バスは、全船の屋根に展望用のオープンデッキが設けられている。風をあびながら風景を楽しむなら、断然、このタイプがお勧めだ。ビルや首都高速に囲まれた道路からでは想像もつかないような開放的な眺めが360度に広がる。
「陸(おか)からだと、その場に囲まれたような感じがしますけど、水辺からだと全体が見晴らせるのがいいですね。隅田川も、陸から見ると堤防で区切られているイメージですけど、船からの眺めだと、不思議に水辺と陸の境が感じられないんです」
こう語るのは、操舵室で自ら舵輪を操る女性航海士の岩田直子さん。見所は人によって様々だけれど、隅田川にかかる橋をくぐるときもポイントの一つだという。
「力士のまわしをイメージした形の両国橋から、関東大震災の当時に唯一被害を受けなかった新大橋、ドイツ・ケルンの釣り橋をイメージしたという清洲橋と、時代と共に変遷してきた歴史ある橋をいくつもくぐり抜けます。ふだんは上からしか見られない橋の構造が頭上に現れると迫力ありますよ」
桁(けた)下の低い橋の下をくぐるため、水上バスは宇宙船のように高さを抑えたスタイルになっている。それでも大潮の日は干満差が2メートルにもなるため、桁下が一番低い永代橋を満潮時にくぐる際に屋上デッキの柵をたたまなければならないこともあるそうだ。
船長を17年勤めている男性航海士は、就任当事に比べてだいぶ風景が変わったという。
「以前は豊洲のあたりの高層ビルとか、レインボーブリッジとかもなかったし、お台場の界隈も何もなくて、どちらかといえば殺風景だったね。陸の上はにぎやかに様変わりしたけど、川の環境は良くなったね。昔みたいな嫌な臭いもなくなった。水がきれいになったんだね」
定期航路の水上バスは聖路加ガーデン前、浜離宮などの発着場に立ち寄りながら航行を続ける。レインボーブリッジを過ぎると、次はお台場海浜公園の発着場だ。幕末期の黒船襲来に備えて建築された砲台の石垣の先に、宇宙ステーションのようなフジテレビの建物が見えてきた。
中継地の発着所でも乗り降りできるので、水上バスを途中で下船して散策するのもお勧めだ。立ち並ぶ摩天楼を望む「聖路加ガーデン前」で下船し、佃大橋を渡ると、佃煮の発祥の地の佃島だ。水辺沿いの道を歩くと、老舗の佃煮屋の軒先から醤油と砂糖で煮られた魚介類の甘く香ばしい匂いが漂ってくる。
江戸時代に隅田川の河口干潟を埋め立てて作られた佃島は、摂津(大阪)の佃村の漁師が徳川幕府から拝領して定住した。そもそもは本能寺の変の際、堺にいた家康が明智光秀の軍勢から脱出する際に川を渡れずに困っていたところ、佃村の漁師が船を集めて一行を助けたことから、江戸幕府を開いた際に家康が佃村の漁師を呼び寄せたと伝えられている。家康は江戸前の漁業権を広く佃島の漁師に与え、好物の新鮮なシラウオを城に奉納する際は大名行列を突っ切ってもお咎めなしとされたという。
月も朧(おぼろ)に白魚の篝(かがり)もかすむ春の空・・・こいつぁ春から縁起がええわいねぇ
木阿弥の名作歌舞伎『三人吉三』の台詞回しでも知られる隅田川名物のシラウオは環境の悪化で絶えて久しいが、近年の水質改善で支流の神田川にはアユの群れも遡るようになった。隅田川にシラウオ漁が戻る未来も、あながち夢ではないのかもしれない。
屋形船が並ぶ神田川河口の柳橋周辺。江戸の繁華街の風情が漂います。









